『身体の声を聞く』2.心地良さに気づく

瞑想ヨガのゴールは『全てをありのまま見守る』感覚の深まりです。
そのような感覚が深まるとき、そこにはそもそも良い・悪い・好き・嫌いなどの分別は存在していません。

シンプルに答えを言ってしまうと"だから居心地が良い"ということになるのですが、
私たちの日常的な感覚の中では、様々な事象に対してグレーゾーンや複雑さも含めて意識的にも無意識的にも分別が生じていて、その先の行動にたくさんの影響を与えています。

日常的な感覚とは少し離れていると感じることをいっぺんに変えようとするのは難しいこと。
無理をしすぎたり、抑圧やリバウンドも伴いがちです。

そのためこのシリーズでは、出来るだけ日常的な感覚から紐解けるように、向き合う感覚を"あえて"仕分けしてみました。
それぞれの感覚と向き合うコツや陥りやすい誤解について、実感や理解を深めていただければと思います。
トップバッターは"心地良さ"との向き合い方です。

私たちは日常でもマットの上でも、対面した事象に対して大きく分けて2つの感覚のどちらかを抱きます。

ひとつは、心地よい・受け入れやすい・好きといった肯定的な感覚。
もうひとつは、不快・受け入れがたい・嫌いといった否定的な感覚です。

一見分かりずらい複雑なもの、グレーゾーンで曖昧なものも、シンプルに捉えてみればこの2つのどちらかに当てはまります。
ヨガマットの上で、身体を使ってアーサナを行っていくときにもこのことは当てはまります。

そして今回はそのうちの肯定的な感覚がテーマです。

"たてまえ"ではない心地良さ

まず、心から、素直に、正直に、身体が"心地良い"と感じることはどんなことなのか。
その正直な感覚とちゃんと出逢うことがとても大切です。

"本音とたてまえ"という言葉がありますね。
日常ではこういうことが必要とされる場面もあると思いますし、そういう変換をしないと乗り越えられないこともあると思います。

でも、本心を何かしらの形で変換したり隠すことを無意識のうちに繰り返すことは、"自分の本心がよくわからない"という事態を引き起こします。

本心を変換する必要があり意識的にそうしている場合、本心を見失うことはないとしても、抑圧感や空虚感を感じることが多いです。

マットの上は、頭で捉えたり理想に掲げる心地良さの定義ではなく、ハートで感じるリアルな心地良さとしっかり繋がってゆける場所です。

日常的に本心を隠して忘れているのなら、改めて繋がり直しましょう。
日常的に繋がりを持てている実感があれば、再確認してゆきましょう。

自分自身から込み上げてくるその素直な反応、感覚をもっともっと大切に。
期待したりイメージしていたのとはちょっと違うことをその瞬間の身体が"あ~心地良い~"と受け取っているのなら、そのことを受け入れ、尊重し、そしてともに味わってみてくださいね。

マットの上は、誰に気を遣う必要もない安心できる空間。そんな空間だからこそ他ならぬ自分自身に対して、まず誰よりも自分自身が正直であることを大切にしてゆけますように。

本来そうであることは、心底心地良いことなのですから。

"心地良さ"は静かで穏やか

ハートから沸き起こる心地良さ。
ではそんな"心地良さ"とは一体どんなものなのか、様々な表現をしてみたいと思います。

心地良さは、言い換えれば"調和"の深まりです。
調和ということをこれまた言い換えると、衝突している感覚が少なくなっていたり、無くなっていたりする状態です。

衝突や不調和はざわつきも大きく、すぐに気づくことができます。騒がしいですからね。
でも、調和はとても静かです、穏やかです。

だから、そこにちゃんとあっても"気づいていない"ということもあると思います。

とろけるほどの一体感、そのほんわかした感覚をなんとなくポワーンと受け取っていると、フワーッとして眠気が…(笑)。

だから心地良さが広がっているということを、ある程度鮮明に、意識的に受け取ってゆくことが大切です。
味わうこと・俯瞰することと、癒着すること・飲み込まれることは違っています。

心地良さがある、ということを鮮明に見守っていく。
ホワーンとした特性上、そういう意識を大切にしてゆくと、さらにさらに味わい深く受けとることが出来てきますよ。

心地良さと執着

心地良さに対しては"執着が生じやすい"ことも理解しておきましょう。

例えばシャヴァーサナ。ラストにごろんと寝転ぶあの至福のポーズ(笑)。
心地良いですよね、私も大好きです。おそらく多くの方が好きなアーサナなのではないかな?

心地良いだけに、ずーっとそこに留まっていたいなぁ、まだ起き上がりたくないなぁ、って思ったりすることがありますよね。
さらには、なんでもう起こすんだよ(イラッ)(笑)。
執着が憎悪につながる瞬間、心地良さが妨げられることを過剰に忌み嫌う反応です。

大いに味わっていただきたいです、心地良さ。
素直に感じることと繋がる、自分自身と芯のあたりからちゃんと繋がっているという確信を重ねる体験。

でも、執着しすぎずに。

そのために必要なことは何でしょうか。
それは、"心地良さに気づく力"です。

繊細にじっくり、よーくよーく感じてみると、瞬間瞬間にちゃんと心地良さが潜んでいるんだ、ということに気づくことが上手になってきます。

どの瞬間にも心地良さがちゃんとあるんだ!という素敵な気付き、そしてそれを味わう体験が重なれば、今味わっているその心地良さを手放すことは決して怖いことではないとわかります。

すると自然と執着は消えてゆくものです。

精一杯味わい尽くし、時が来たなら手放し、そしてまたきっと次の瞬間にもちゃんと潜んでいる心地良さに気付き、繋がってゆく。
執着せずとも、きっと繋がることが出来ます。

ありのままを見守ることで深まる心地良さ

最後に、心地良さとの向き合い方を、瞑想ヨガのゴールイメージともう少し繋げておきたいと思います。

マットの上でアーサナなどを通じて私たちが受け取っている心地良さは、大きく分けて2つあるのです。

ひとつは、あからさまにわかりやすい心地良い刺激、刺激の度合いで増減する心地良さ。

多くの方がヨガでのアーサナにおいて出逢う、わりと受け取りやすい心地良さの根源です。
凝りに効くように刺激する、だからほぐれてきて、あぁ心地良いなぁ。
アーサナの持つ整体的な役割、それを体感することで受け取る心地良さは素晴らしいものです。

そしてもうひとつ。
その奥に、より瞑想的な根源から沸き起こる心地良さとの出逢いがあります。

それは『全てをありのまま見守る』感覚が深まることで出逢う心地良さです。

そんな感覚では何も衝突しない受け入れ方が成されているから、いろんな繋がりも感じられるし、心は静まりおおらかさの中にあります。
それを言葉で表すと様々だとは思いますが、その感覚はとても居心地が良いものです。

良いことをかき集めなきゃ、心地良くなれない。
心地良さとの出逢いはその一本道ではないのだ、ということ。

それは私が瞑想的なヨガを通じて頂いた、とてもとても素敵なギフトです。
だから心を込めて、みなさんにもお伝えてしてゆけたらと思います!

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